きらいになれないときは

日記とフィクション

テレビ

会いたくない人に会うより、観たいテレビがあったよ。 そんなことを考え始めるとかなり悔しい気持ちになる。

みんなはしゃいでいる。タイムラインがすごい勢いで動く。あれ面白かったよね、と切り抜かれた1分が拡散される。でもちゃんと観てる人からすればそんなのはセンスなくて、全部観たからこそ伝わる空気がある。

あー、観たい。テレビが観たいよ。2時間くらいだったらどうにかこうにか観るかもしれない。 でも、わたしの家には録画機器がない。いつもTVerにお世話になっている。時々はインターネットの海を彷徨う。 番組録画って実はめちゃくちゃ生活が豊かになるんじゃないかと感じたのは、TVを持っている人の家に行った時だった。今はテレビで録画できるらしい。言ってる意味がよくわからなかった。わたしの記憶はVHSで止まっていて、コナンが始まる30秒前くらいから録画ボタンを押す準備をした記憶。 お気に入りのバラエティ、なんか気になるドラマも録れるな。綺麗な画質で観れちゃうな。でも、ずーっと消化出来ずにいると容量がいっぱいになって新しいのが録れなくなっちゃうらしい。忙しい時にはそのことで悩みそうだ、と思った。

テレビを買ったのも大学3年の頃だし、社会人になってからAmazon stickを買ったけど実際それまではほとんど付けなかった。必要がなかった気がする。

あー、テレビが観たい。長時間の特番が観たいよ。会いたくない人とそこまで乗り気じゃないご飯のメニュー見ながら美味しそうだってはしゃぐんだ。全然自分が笑えなくても、空気が軽くなるためにたくさん間髪いれずに喋るんだ。 あー、あー、テレビが観たいな。

本当はご飯を食べる時間だけど次のやつが気になって出かけられずに夜になる。お腹が空いて外に出る。秋の空気に驚く。パーカーが着られてはしゃぐ。ひとりでも。 嬉しくて軽くなる。それならふたりでもいいな、とか考える。もっといてもいいな、たくさん人がいて、ダラダラワイワイするんだな。 悔しいから、耳をふさぐ、目を閉じる。最後に記憶を失くす。それくらい悔しい。