きらいになれないときは

日記とフィクション

この先

 

 

たとえば、選ぶなら

春の陽

 

 

 

選ぶなら、ぬるさ

 

そんなふうにきっとわたしの4年間はキーボードに打ち込んだひらがなを漢字に変える部分のところの変化なのだろうと思う

変わっていないとも言えるけど小さな窓から覗く小さな世界がわたしにとっての世界だった

 

 

人に、いろんなことを言われても、優しくされなくても、なんだかみじめになっても、笑われてしまっても、胸を張れなかったな

耐えられたのは、自分の信じているところだけは絶対に変えられないと思えたからなんでしょう

 

 

 

今後大人になって行くならまだ安心だ

 

でもきっとなれないこともそろそろ気づいてしまうのでした

あわわ…

 

それでもがんばらなきゃいけない理由はわからないけど、先生が言ってくれた

どんな小さな自由でも奪わせてはいけない

 

理不尽も悲しみもたくさん降りかかる時がきて

どんなに怒っても晴れないことも

恨んで恨んで擦り切れること

何度も繰り返して考えてしまう無意味も

これまでたくさん感じたと感じているのだから

この先はそれよりももっとなのでしょう

 

だからほんとうはもっと許されたモラトリアムの中にいたかった

どんなことを言ってももう終わってしまった

 

 

ただ、今全然悲しくも寂しくもないのは実感がないというよりは、ぷっつりと途切れてしまいたくない人のことを少しは大切にできるんじゃないかという自信

、ということにしておこう

 

 

 

一番にはなれないし

真ん中にもなれないし

そんな悔しさばかりの今まででも

やっぱり桜が好きな自分は嫌いじゃない、から

情けない自分のまま

このまま