きらいになれないときは

日記とフィクション

退屈な日々を愛せるか

その質問はようやく私に向かって放たれた 私には平凡でゆっくり流れる穏やかなひだまりは用意されておらず、薄暗い部屋にはいくつもの不安定チョコレートその他が散らばっている

 

つまり、自分でふしあわせという「幸せ」を望んでこうなっていた訳である 薄々、薄々気づいていたのにこうも私が逃げ回っていた訳はもちろんそれを認めることによって崩れてしまうこと、自分の魅力(と社会にまたは人に思われていると自分が捉えている)の損失を恐れているからだ 私の自己愛を都合良く捻じ曲げたものが誰かから愛されてたまるものか と、そんなことを口にしても私を愛してほしいという声は止まずまた誰かが私を呼ぶ 確実なふしあわせの中にはオマケの幸せが付いていてそのオマケにハマった だからこそ私は平凡で退屈な日々を恐れた

退屈な日々を愛してしまうこと、全ての責任は重大なものとなり私にのしかかりもちろん逃れられない 退屈な日々は私の人生を私のものにする 逃げ回ってばかりの私にいよいよ、その時が来ている

愛しているという言葉は簡単に打ち込め甘美な響きとして麻薬的に使うことができる

意味を持って、口に出すとなるとまったく意味を変える 重たくズシリとした、不恰好な幸せ

そんな幸せを愛せるか 不恰好で惨めで情け無い自分を認められるか ありのままという言葉は好きでないが、自分のたしかな背丈 たしかな肌 そんな自分を愛せるか

恐怖に打ち勝つことで、私は大切な人を大切にする力を得ることができる

退屈な日々も、部屋干しの匂いも、腫れてしまった瞼も